40代後半からは学級担任の職務から離れ、職員室での業務が中心となりました。
特定の学級の子供との関わりがなくなったことに対する寂しさや、計画的に進めることができない業務の難しさに慣れるまでには、かなりの時間を要しました。
出張や休暇を取られた教員の代わりに学級担任の業務を行いましたが、子供たちと関わる喜びを感じつつも、あくまで代替の役割であったため、子供の安全に配慮しながら補欠計画に従って業務を遂行することに専念しました。
出張時の代替業務であれば事前に計画を立てることが可能ですが、突発的な休暇の代替業務では、予定していた業務を放課後までに終えることができず、夜遅くまで残業したり、休日出勤をしたりして、自分の業務に支障が出ないよう努めました。
児童数が1000人、職員数が70人を超える大規模校であったため、補欠に入らない日はほとんどなく、職員会議や研修資料、各種書類の準備や確認作業に追われる日々が続きました。
ある程度の年齢に達していたため仕方ないと感じつつも、心身の健康が損なわれるのではないかと不安になることもありました。
定年が近づくにつれ、ようやく働き方改革が進み、勤務時間や事務内容、各種会議の見直しが行われるようになりました。
しかし、教育委員会から業務見直しに関する調査依頼があり、その結果を整理し、改善策をまとめた資料を提出する業務が発生した際には、将来の学校のための重要な仕事であると認識しながらも、非常に困難な日々が続きました。
定年を迎えた際には、大きな病気もなく無事に教職を全うできたことに安堵しました。